【連載】これぞうまい店

Extra.01

魔法のルール番外編
食日記で、自分の生活をふりかえる

13.11.14

僕が一番好きな時代小説家は、池波正太郎氏です。『鬼平犯科帳』や『仕掛人梅安』『剣客商売』などの設定の巧みさ、ストーリーの面白さや、独特な文体に惹かれているのですが、池波正太郎氏の食への造詣の深さ、情熱のかけ方も魅力のひとつです。
自身の小説やエッセイには、おいしそうな食べものがたくさんでてきます。「私が自分の時代小説の中へ、しばしば、食べものを出すのは、むかしの日本の季節 感をだしかったからにほかならない。季節の移り変わりが、人びとの生活や言動、または事件に影響してくる態(さま)を描きたいのだ。」(『食卓のつぶや き』)
『鬼平犯科帳』には、火付盗賊改方長官、長谷川平蔵にとっての「うまい店」が何軒も出てきます。たとえば、軍鶏鍋の「五鉄」。川海老の塩焼きやら穂紫蘇の 吸い物が出てくる料理茶屋「万屋」。一本饂飩の「豊島屋」。部下たちや、密偵たちと杯を交わしながら、軍鶏鍋をつつくシーンは、なんともおいしそうで、楽 しそうです。
『銀座日記』などのエッセイには、池波正太郎氏自体の、外食記録や、自宅での夜食、朝ご飯などが詳細に書かれています。鮨や天ぷら、蕎麦、洋食など、池波 正太郎氏自身の「うまい店」が何軒もでてきます。新しくできた店で牛肉の網焼きを食べたら、ご飯を3杯もおわかりしてしまったとか、銀座の洋食店で、テイ クアウトした、ロースカツレツを翌日、カツ丼にして食べたり、ソースで煮たとか。読むたびに食べたくなるものばかりで、食べたものの記録だけでも、池波正 太郎氏の趣味嗜好がわかって面白いなあと思ったのが、僕も食日記をつけようと思ったきっかけです。
食日記といっても僕の場合は、パソコン上の月間スケジュール帳に、外食した店名と、自宅での食事の場合は、メインの料理だけを書きます。きっちりと記録し だしたのは、2005年元旦からです。レコーディングダイエットするにも便利なフォーマットではありますが、僕の場合、あまり詳しく書くことにすると、面 倒くさくなって、続かないと直感したので、できるだけ簡略化しました。
この食日記、あとで見返すと、いろんな発見があり、面白いことに気がつきました。もう始めて9年になりますが、年始に、ちょっと一杯飲みながら、前年行っ た軒数を数えたり、読み取れることはないか考えたり、振り返るのも、恒例となりました。たとえば2012年の1年間に、自腹で、飲食店に行った軒数は、の べ468軒でした。その2012年の「自分の食の傾向」と、感想です。
●麻婆豆腐を食べた回数は、74回。
100回以上の年もあるのでちょっと、少ない。
●昼ご飯の頻度の高いのは、圧倒的に麺類。次にカレーライス。ハンバーガーはゼロ。
炭水化物がやっぱり好きすぎる。そら痩せないな。
●飲んだ後に、食べるのは、月見うどんが多い。
カツオ昆布だしに天かすが浮いて、卵黄がとけている状態が好き。
そういえば海外から帰ってきても食べたくなるのは月見うどんだ。
●大きい仕事が終わったあとは、鮨を食べに行く傾向がある。
昔は、焼き肉だったけど、これは歳のせいか…。
●焼き肉店は、1年間で、2回しか行っていない。
ステーキも多くない。これは歳のせいか…。
●468軒のうち、初訪問だった店は、昼夜あわせて112軒。
残りは、行きつけの店。
●晩ご飯で、同じ店に一番多く行った回数は、15回。その次は、10回、9回。
だいたい、僕の、行きつけの店は70軒くらいある。
という風に、食に関する自分の嗜好、行動がわかります。焼き肉の回数が年に2回だったことには、正直驚きました。ステーキも5回くらいなので、案外、牛肉 を食べる頻度が少ないことに気がつきました。牛肉が好きだと思っていたのですが、本当は、それほど好きではないのかもしれません。
大きい仕事が終わったあとは、鮨を食べに行く傾向があると、気がつきましたが、その渦中の一週間は、テイクアウトの弁当が続いたり、禁酒していたりしてい て、なかなかのハードスケジュールで、「めちゃめちゃプレッシャーを感じる仕事だったな」というような心理状況も、思い出せます。これは、次の大きな仕事 をするときに、大いに役立ちます。あのときも、つらかったけど、なんとか乗り越えることができたのだから、今回もできるだろう。という、前向きな気持ち の、根拠となるからです。
この週は、暴飲、暴食、はしご酒が続いて、身体に、肝臓に悪いことばかりしていたなと、反省材料にもなります。
食事は、生活に直結し、基本的には、365日毎日することですし、書くネタには困りません。少なくとも「日記に何を書けばいいか思いつかない」ことにはな らなく、一番簡単な、行動記録、ライフログになります。食日記をみかえして、過去の生活から、今の生活を少しよくする、楽しくするヒントを得ること。自分 のことは、わかっているようで、わかっていない。ということに気づくだけでも意味はあると思うのです。